映画『エクス・マキナ』 AIという禁忌と『惑星ソラリス』

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あらすじ

検索エンジンで有名な世界最大のインターネット会社“ブルーブック”でプログラマーとして働くケイレブは、巨万の富を築きながらも普段は滅多に姿を現さない社長のネイサンが所有する山間の別荘に1週間滞在するチャンスを得る。
しかし、人里離れたその地に到着したケイレブを待っていたのは、美しい女性型ロボット“エヴァ”に搭載された世界初の実用レベルとなる人工知能のテストに協力するという、興味深くも不可思議な実験だった・・・。

ー公式サイトより

 

  

センスの良すぎる近代建築

 

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 アメリカ人の富裕層が好んで建てる住居や、日本の公的建築物によく見るもので、自然空間を贅沢に利用した、美しく幾何学的なスタイルがある。

 広大な自然空間に屹立する、凄まじくセンスの良い近代建築。

 そういった建築物を見ていると、その建物に対して何か不思議な傲慢さ、そして畏敬の念を感じさせられることがある。

 最先端の知恵と技術が配されつつ、周囲の自然の美しさ、澄んだ空気、虫や鳥たちの鳴き声までをも貪る人間のあまりにも上品な傲慢さに、一種の深淵な何かを見てしまうからだろうか。

 それは科学や文明による自然世界への奇妙な侵食であるのかもしれない。

 

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 本作で頻繁に映されるセンスの良すぎる近代建築も、頂上を隠す高き山々、深き森、澄み切った川に囲まれ、非常に美しい。

 しかし圧倒的自然世界の中に忽然と存在する本作の幾何学的な建造物は、同時に何か世界の禁忌に触れたような不気味さをも醸し出す。

 

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 映画作品で視覚的に映される「家」は、しばしばそこに住む人間の人格そのものの象徴として描かれることがある。本作で孤独にAIを開発する天才ネイサンと、近代建築を重ねて見てみるとなかなか味わい深いものがある(ような気がする)。

 

 

禁忌として描かれる AI

 

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 同じくAIもので、スカーレット・ヨハンソンの絶妙なハスキーボイスで世の男性陣を魅了した『Her』のように、テクノロジーの進歩と高度なAIの登場を「善きこと」として詩的に、感動的に描いた作品と本作は極めて対照的である。

 

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 本作で登場するAIの世界は、人間の科学が踏み込んではいけない混沌世界に触れてしまったかのような、とめどない不安感を漂わせ続ける。

 

 

惑星ソラリス』の狂気の再来

 

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 圧倒的自然世界の中で、発達し過ぎた科学が世界の混沌に踏み込む話で有名なのが、 1972年のソ連映画『惑星ソラリス』である。

 星全体が一個の高次元の生命であり、宇宙開発で訪れた人間たちの脳内のイメージが物質化して現れる狂気の空間である惑星ソラリス

 

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 宇宙にまで進出し得るほどの科学力を得た人間たちではあったが、逆にその知識に追いつかぬ知性や道徳観によって、どんどん正気を失っていく様子を不気味に描く本作。

 凄まじい速度で発達し続ける科学知識が、人間の存在そのものを脅かす恐怖を思い知らされる。

 

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 人間ではないはずのものに、人間と同じ、あるいは人間以上の何かが宿っている(かもしれない)という AIと主人公の葛藤も、かつて亡くした最愛の妻がソラリスの星で具現化して現れた時のそれと通じるものがある。

 愛のような人間的な感情と発達しすぎた科学技術、神秘的な美しさと圧倒的な背徳感が伴う悩ましさも両作で共通しているように思われる。

 

 

その他いろいろてんこ盛り

 

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 他にもAIの「エヴァ」という名から想起されるように、キリスト教の創世記と重ねながら観られたり、主人公の背中に天使の羽のような傷跡があったりと、なにかと深読みや哲学的思考を誘う本作品。

 人工知能検索エンジンの凄まじい進歩、美しいAIとの恋、天才VS秀人など、他にも楽しめる要素だらけの最上級の娯楽作品である。

映画 『ノーカントリー』 怪物として描かれる近代と新世代

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あらすじ

麻薬カルテルの抗争現場で、偶然大金を拾った主人公ルウェリン

彼はふとした善意が災いして、麻薬カルテルに追われることになる

カルテルが雇った殺し屋は、標的など関係なく人を殺しまくる怪物であった

知力の限りを尽くして対抗するルウェリンは逃げ切れることができるのか

 

 

  「欲望」に振り回される間抜けたち、を描き続けるコーエン兄弟 

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 平穏な日常を送りつつ、何かしら「不満足」を抱える人々が、欲望やコンプレックスに駆り立てられて行動した結果、血みどろの混沌が訪れる。そんなテーマを繰り返し描き続けるコーエン兄弟

 危ない事態をさらに悪化させていく間抜けな人間たちを描きながらも、彼らをどうしようもなくコミカルな存在として描くのも大きな特徴である。

 

 

間抜けなだけじゃない主人公

 

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 本作で欲望に駆り立てられる主人公もまた、どう考えても危ない麻薬カルテルのお金を持ち逃げしてしまう間抜けである。

 とは言いつつ、ベトナム帰還兵として何事にも屈せぬ知力、体力に恵まれた主人公は、ジョッシュ・ブローリン扮するかなり味のある「デキる」男でもある。

 どんな事態にも冷静に対処する彼に訪れる混沌もまた、普段のコーエン作品以上に恐ろしい存在として描かれることになる。

 

異形の殺し屋シガー

 

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 お金を持ち逃げされたカルテルが雇ったのは、天災の擬人化のような殺し屋、シガーである。

 髪型、服装、話し方、どれをとっても違和感しかない気味の悪い殺し屋は、会う人会う人に逃げ場のない哲学問答をしては、残虐な方法で殺しまくっていく。

 殺し方や殺しに使う道具まで、どれをとっても見慣れないものばかりで気持ち悪い。

 何かしらの行動原理があるらしいが、何がしたいのか全くわからない。彼は一体何者なのか。

 

近代、資本主義の化身としてのシガー

 

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昔々あるところに少年がいました

森の中で何も持たずに育てられ

夜は明かりの灯る家を見て嘆きました

“なぜ僕はあの中には入れないの?”

“なぜ僕だけ腹ペコなの?”

“僕も ああなりたい”

するとオオカミたちがやってきました

—ドラマ版『ファーゴ』シーズン1、字幕より

 

 無邪気で平穏に暮らしている人々が、近代性や資本主義的価値観に触れる瞬間。そこにはしばしば予想しがたい狂気と暴力が訪れる。そんなテーマを繰り返し描き続けるコーエン兄弟

 最近だと2シーズンにわたって、ドラマ版『ファーゴ』 の中でさらにそのテーマを掘り下げて描いているのもぜひ注目したい。

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 伝統的な価値観や共同体に安住している人間が、「欲」(資本主義)に出会ってしまい、人間性を失ったり、悲惨な暴力の世界に巻き込まれたりする。

 そんな時にやってくる「オオカミ」こそ、殺人者シガーなのである。

 

 

新世代・新時代への恐怖としてのシガー 

 

もし庭に性悪犬がいたら誰も近づかないはずだ

ところが近づいた連中がいたんだ

ー原作「血と暴力の国」より

 

 一言で言ってしまえば本作品は「世代交代」の話でもある。

 トミーリー・ジョーンズ扮する保安官は、最近の凶悪犯罪、敬語を使わない若者、老いた自分自身を眺めては、子犬のような顔で嘆き続ける。

 

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 「古き善き」アメリカの良心や伝統は失われ、戦争や麻薬、犯罪によって多くの命が奪われる。彼にとって新世代は手を出してはいけない禁断の悪に伝染した世代である。

 過去を美化し、新しい世代を不気味に感じてしまう彼にとっては、新世代が手を出してしまった禁断の悪の化身こそ、殺し屋シガーなのである。

 そんな厭世的な彼の嘆きに重ねるように、詩人イエィツの「ビザンチウムへの船出」から引用して「No Country for Old Man(老人たちのための国などない)」のタイトルが与えられている。

 

退場させられる怪物(以下ちょっとだけネタバレ)

 

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 そんな不気味な存在のシガーでさえ、やがては表舞台から退場させられる。 

 彼が経験する突然の事故は、彼もまた不条理から逃れることのできない世界の一部だと言いたいのかもしれない。

 若い少年たちにシャツをもらい、争いの種(金)を残してフラフラと消えていくシガーもまた、過去の遺物になっていくのであろう。

 人を殺しまくる超自然的な恐ろしい存在もまた、傷つき、立ち去っていく姿に、とめどなく変わりゆく時代の変遷を感じさせられる。

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 他にも、つい深読みしたくなるような描写や台詞で溢れる本作品。

 保守とリベラルがせめぎ合うアメリカや、とめどなく激変し続ける最近の世界状勢を考えながら見ると、より一層味わい深く楽しめる良作である。

映画 『パンズ・ラビリンス』 ギレルモ監督の世界観とジブリ愛

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昔むかし、遥か昔 

嘘や苦痛のない魔法の王国が地面の下にあった

その王国のお姫様は人間の世界を夢見ていた

澄んだ青い空や そよ風や 太陽を見たいと願っていた

そしてある日 従者の目を逃れ お姫様は逃げ出した

でも 地上に出た瞬間 光に目がくらみ

すべての記憶を失ってしまった

-映画字幕より

  あらすじ

ファシスト政権化のスペインで、過酷な現実世界に日々怯える少女オフェリア

そんな彼女のもとにある日妖精が訪れ、彼女を魔法の世界に誘うようになる

魔法の世界に戻るためには過酷な試練を受けねばならぬという

厳しい試練の数々を経験しながら、成長していくオフェリアに待ち受ける運命とは

 

過酷な現実とおとぎ話 

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 父を失い、生活のためにファシストの将軍と再婚した母と共に山奥に引っ越したオフェリア。

 捕まえた敵を殺したり拷問したりの新しい父に怯えながらの毎日に加え、大好きなお母さんは将軍の子を妊娠してから、日々体調が悪くなっていく。

 彼女にとっての唯一の救いは、大好きなおとぎ話の世界であった。

 

魔法の世界に目覚めるオフェリア

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 そんな彼女は、自らを魔法の世界に誘う妖精、そして森の精「パン」と出会い、魔法の世界に戻るための3つの試練を課される。

 森の精にしてはかなり気持ち悪い風体のパンに恐怖しつつ、同時に魅了されるオフェリアは、魔法の世界こそ本来の自分の居場所であることを確信する。

 その後の試練で登場する、作品全体の詩的な雰囲気を破壊するようなグロテスクな描写の数々は、世界中の観客を驚かせた。

 

なぜそんなにグロいのか

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 将軍であるお父さんの敵対者への暴力と、オフェリアの経験する試練のみ、別次元の残虐描写をもって描かれる本作品。

 少女の魔法世界と彼女を取り巻く現実世界の描写にはある種の類似性がある。

 2つ目の試練で登場するかなりグロい怪物の部屋と、将軍の食堂はほとんど同じ構造で描かれる。

 

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 試練を通して登場するグロ過ぎる怪物達は、無垢な少女の目から見た過酷な「現実」そのものであった。

 魔法の世界が少女の空想なのか、それとも本物なのか、それは観る人それぞれに委ねられている。

 

魔法の世界と大人の世界

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 つらい現実から離れ、魔法の世界に戻るために戦う少女を描く本作品ではあるが、その戦いは現実世界でも同時並行で描かれる。

 冷徹な秩序の守り手であるファシスト政権側と、既存の腐敗した秩序に反抗するゲリラたちである。

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 機械的で閉塞感のある軍事拠点にいる将軍勢と、神秘的な森の中に住むゲリラたちによって繰り広げられる大人達の戦い。その描写一つ一つに、胸を締め付けられるような悲しみと感動が描かれる。

 内戦化のスペインという過酷な時代が舞台ではあるが、現実と魔法、大人と子供、秩序と反抗、そういった二項対立を通して、見る人それぞれの現実を投影させてくれる。

 

 

宮崎駿が大好きなギレルモデルトロ監督

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 日本のアニメ、とりわけ宮崎駿作品の大ファンであるギレルモ監督。彼の作品にはところどころに、ジブリ愛に満ちたオマージュが溢れている。

 

 本作品のテーマそのものも、『千と千尋の神隠し』に非常に近い。

 少女の異世界での闘争を通して、親の庇護のもとでうたた寝していた存在が一人前の大人になるか、それとも?という選択を迫る。

 胃袋の形をしたカオナシ(欲望の象徴)に似た怪物も登場する。

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  他にも『となりのトトロ』、『もののけ姫』など、何回見ても思わぬところに愛に満ちたオマージュを隠している本作品は、見つけるごとに新たな感動を覚えさせてくれる。

 映像特典のコメンタリーなどで、2時間以上にわたって嬉々としてディティールを語りまくるギレルモ監督。深淵なテーマを扱う映画作りの巨匠であるにも関わらず、その無邪気さを捨てていない姿に思わず微笑んでしまう。

 

ラストシーンに込められたメッセージ(ちょっとだけネタバレ)

 

お姫様はこの世に“小さな印”を残していったという

注意して探せば きっと“印”に出会えるはずだ

ー映画字幕より

 

 本作品のラストシーンでナレーションとともに映るもの。それは『もののけ姫』の作品ラストで森の中にそっと写される、「あの存在」へのオマージュであろう。

 神なき人間世界にも、「あの存在」が残っているという宮崎駿のメッセージを、感動とともに思い出させてくれる。

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 魔法を失い、理性の世界の住人になってしまった大人達でも、世界に隠れた美を見つけることができる、そんな監督の暖かいメッセージと共に幕を閉じる、傑作中の傑作である。

映画 『イット・フォローズ』

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・あらすじ

19歳のジェイはある男から“それ”をうつされ、その日以降、他の人には見えないはずのものが見え始める。動きはゆっくりとしているが、確実に自分を目がけて歩いてくる“それ”に捕まると確実に死が待ちうけるという。しかも“それ”は時と場所を選ばずに襲ってくるうえ、姿を様々に変化させてくるのだ。いつ襲ってくるか分からない恐怖と常に戦い続けながらジェイは果たして“それ”から逃げ切ることができるのか!?誰も体験したことのない<超・新感覚>の恐怖がずっとあなたに憑いてくる―。

映画『イット・フォローズ』オフィシャルサイト

 

・アメリカ独自の「呪い」の法則

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“それ”は他人にうつすことができる

“それ”はゆっくりと歩いてくる

“それ”はうつされた人間にしか見えない

“それ”に捕まると必ず死ぬ

 この謎の設定によって繰り広げられるホラーな世界観は、世界中の観客を魅了し、その解釈をめぐって多くの話題を読んだ。

 モンスターあるいは悪魔的な存在が主流に見えるアメリカのホラーで、ジャンプスケアーもなくしっとりと、しかしかなり怖い異色のホラー作品。どこか日本の『リング』シリーズを彷彿とさせる。

 

・若者と死

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 “それ”が感染する人間はみな若者であり、性行為によって他人にうつる、ということから、「性感染症」の恐怖をホラーとして描いたのだ、という解釈が多くの賛同をよんでいる。

 テーマについて詳しく説明することを嫌うデビッド・ロバート・ミッチェル監督ではあるが、上記の解釈に対してははっきりとNOを突きつけている。

 あまりにも断定的な解釈は否定したものの、多くを語らぬ監督は以下のように語る。

 

人生のある時点で、性を恐ろしいと思うような時期があると思うんだ。人の人生には得体の知れないあらゆる不安が押し寄せてくる時がある。それを、別のレベルで表現してみるのも面白いと感じたとだけ伝えておくよ。

公式ホームページより

 

 

・作中の冒頭、ラストで引用される、ドストエフスキー『白痴』

 

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 「拷問には苦痛と傷が伴う。

肉体的苦痛は精神的苦痛を超越し、人は傷の痛みに死の瞬間まで苦しむ。

 だが最悪の苦痛は傷そのものではない。

最悪の苦痛は、あと1時間、あと10分、あと30秒で、そして今この瞬間に

魂が肉体を離れ人でなくなると知ること。

 この世の最悪は、それが避けがたいと知ることだ」

                    ー映画字幕より

 ドストエフスキー自身が現実に体験した処刑場への連行経験をもとに書かれた、主人公ムイシュキン公爵の銃殺される寸前の心境である。

 結局銃殺を免れた主人公ではあるが、あまりにも直接的に「死」の想念を経験した彼は、以降重い癲癇を患った後に「無条件に美しい人間」として、俗世に降り立つことになる。

 もし現実にキリストが復活したら世の人間はその存在とどのように接するか?真実の愛と憐れみの愛とは?理性と激情を調和させるものとは?

 そんなドストエフスキーの生涯のテーマを描いた傑作中の傑作、『白痴』が中心として扱ったのもまた、「死を目撃してしまった人間」についてである。

 

・なぜ“それ”は若者にしか訪れないのか 

 

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 本作品で若者にしか“それ”(つまりは「死」)が見えないのは、子供でもなく、大人でもない不安定な「若者」という存在が、生の限界や気味悪さを感じてしまいつつ、そこに愛や希望という救いを見出していく課程を描きたかったかもしれない。

 

 受験や就職活動など、社会に設けられた様々な通過儀礼を通して、少しずつ大人になっていく若者は、やがては死を忘れ、“それ”も見えなくなるのかもしれない。

 “それ”を見ては悲鳴をあげて逃げ回り、自分に残された自由な時間を不安に重ねながらも、“それ”に打ち勝つ何かを探し求める。

 そんなかつてあった我々の「生」をもう一度思い出させてくれる、一風変わったホラー映画の傑作である。

映画『カニバル』

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・あらすじ

優れた腕を持つ仕立屋として慎ましく生活する主人公。

彼は夜な夜な出かけては女性を殺して食べてしまう食人鬼であった。

ある日美しいルーマニア人に目を奪われた彼は、予想外の感情を経験する。

愛を知った食人鬼がのちにとった行動とは。

 

・野蛮性を全く感じさせない食人描写 

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 主人公には女性を殺した後に必ず訪れる山小屋がある。

 人間世界から隔絶した、雪の降り積もる山頂。何かしらの神聖な雰囲気の漂うその「高み」の場所で行われる解体作業。それはあまりにも静かに描かれる。

 そんな場所で丁寧に切り分けたお肉を自宅に保存し、さらに丁寧に調理したものを静かに食べる主人公。

 本来食人に感じるべき嫌悪感や恐怖が全く感じられない。

 

・なぜ食べてしまうのか

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 人間を食べてしまう狂気、いわゆる「カニバリズム」は意外と多くの映画作品で描かれている。ハンニバル・レクターのような悪魔的な存在として、あるいは『グリーン・インフェルノ』のような野蛮性として、あるいはあまりにも多くのホラー映画に出てくる性的倒錯者として、など様々である。

 本作品の主人公も性的倒錯者の部類に入れてみれば一風変わったホラー映画として楽しめないこともない。

 しかし主人公は優れた腕を持つ仕立屋さんとしてお偉いさんからのオファーも多い。質素ながらも極めて上品な生活を送る彼はルックスに関しても、アントニオ・デ・ラ・トーラ演じるかなりのいい男である。

 にもかかわらず彼は女性への愛を「食べること」でしか昇華できない。それは一体なぜなのか。

 

・作品内に漂う宗教色

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 主人公は聖母マリアの肖像を飾るマントを装飾する大仕事を任されていたり、教会の聖餐式(キリストの血肉をワインとパンとして食す)に出席していたり、仕事場でミサ曲を流していたりと、何かとキリスト教と関連した描写が多い。

 黙々と仕事をしては、質素で孤独な生活を続ける主人公の姿も、どこかしら修道僧や聖職者のように見えなくもない。

カトリック大国スペイン

 映画の舞台となっているスペインは、宗教改革以降もカトリックの守り手として強い宗教色の残る国である。カトリックの聖職者は一切の性行為を禁じられており、その愛はひたすらに神に捧げられるべきものとされる。

 どこかしら宗教的な存在感を放つ食人鬼の主人公の姿。それは、極めて高潔であり、尊厳深いながらも、どこかいびつさを感じさせるカトリックの厳しい教義と重なる(ような気もする)。

 そしてそんな彼の姿を通して、スペインの血塗られた宗教史が垣間見える(ような気もする)。

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・主人公が出会う二人の女性(以下ちょっとネタバレ+深読み) 

 劇中で主人公がとりわけ心を奪われる二人の女性。それは女優オリンピア・メリンテによって一人二役が演じられる双子の姉妹である。

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 妹のアレクサンドラは極めて奔放な女性であり、主人公にも積極的に接近してくる艶やかな女性。

 その妹を探してやってくる姉のニーナは慎ましく、家族思いの悩める女性である。 

・二人のマリア

 ところでキリスト教には同名であり全く異なった存在の二人の聖女がいる。それは聖母マリアマグダラのマリアである。

 一方はキリストの母であり、処女でありながら神を生んだ存在として「無原罪」の聖人とされる。

 他方のマグダラのマリアは(教義によって異なるが)娼婦としての過去を改悛して聖女となった存在として、神聖でありながらも「罪の女」と見なされることもある。 

 主人公を肉体的に欲し、積極的にアピールしてくるアレクサンドラは比較的早めに食べられてしまうが、主人公の孤独を癒し、母性的な愛で静かに慕い続けるニーナへの愛は、新たなる次元まで昇華されることになる。

 

・難しく考えなくてもいい映画

 作品全体を通して漂う、静かで神秘的な雰囲気や、何かもの言いたげな描写が多いためか、これは正座して見なければ、と言った感覚に襲われる本作品。それが原因か、評判に関して「よくわからない」、「退屈」と言った意見をよく耳にする。

 どこまでも深読みする要素があることは間違いないが、もっと気軽に見ても絶対に観て損はないと思う。

 「まともに見えて、実は人に言えないような狂気を秘めている人間 」という誰にでも通づるテーマを、静かに、そして美しく描く本作品。各々の隠し持つ狂気と照らし合わせながら、もっと多くの人に楽しんでもらいたい。

 

映画 ドリーム ホーム 99%を操る男たち

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「方舟に乗れるのは100人に1人だ。他は溺れ死ぬ。私は溺れない」

(劇中台詞より)

 

あらすじ 

サブプライムローンの返済不能により、自宅を差し押さえられた主人公ナッシュ。

彼は愛する息子や母のため、そして「家」を取り戻すために不動産ブローカー、カーバーの下で働くことになる。

自分たちを追い込んだ悪徳不動産業者、そして腐敗した行政システムを逆手に利用して大儲けをするナッシュ。

大金を稼ぐほど、彼の守ろうとした「家」、そして家族から遠のいていく彼はある決断をする。

 

・99パーセントから1パーセントへ 

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 圧倒的格差社会となってしまったアメリカに追い打ちをかけるようなリーマンショック。富めるものは政府から救済され、貧しいものは政府によってどんどん追い詰められる非人道的世界が舞台である。

 そんな悲劇を経験した多くのアメリカ人のうちの一人であった主人公のナッシュは、皮肉にもその才能を買われ、富めるものの側につく機会を得る。

 

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 政府や企業から搾取される側の痛み、とりわけ家族にとって最も神聖な「家」を奪われる痛みを生々しく描きながらも、反対に富める者たちのサバイバルや、彼らを突き動かす哲学、そして彼らに隠された恐怖をも描く本作品。

 名優マイケル・シャノン扮する不動産ブローカー、カーバーを恨みつつ、その力強い言葉に魅力され、共感させられていく主人公の姿を通して、暴走するアメリカの資本主義の根源を目撃させられる。

 

・成功の階段を登る主人公が犠牲にしたものとは

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 いわゆる勝ち組側についた主人公が成功していく影で、彼が踏みにじらなければならなかった多くの人々の嘆き。それはかつて主人公が搾取される側であった時の苦悩を蘇らせる。

 彼の行動によって直接一人の人間、そしてその家族が崩壊しようとする現場を目にすることになるナッシュ。その際に彼がとった行動とはどのようなものであったのか。

 精神なき合理主義、弱肉強食世界での勝利を選ぶか、それとも人間性を選ぶか。

 ラストシーンで、選択を行なった主人公を見つめるある存在。彼の視線が意味していたものとは何であったのだろうか。

 


映画『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』

 

(資本主義関連で前回の『マイケルムーアの世界侵略のススメ』と共通するテーマがあったので以下思いつくままに)

・資本主義の圧倒的恩恵で育ったアメリカ 

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 かつて強い経済感覚を育持ちながらも、ヨーロッパにいどころのなかったピューリタン(イギリスのカルヴァン派)が多く渡ったアメリカはとりわけ資本主義に特化した経済を育ててきた。

 第一次世界大戦でヨーロッパが自己崩壊していく間に、彼らからどんどん富を絞り上げたことで世界一の経済大国になったアメリカにとって、資本主義は脅威ではなく、成長に不可欠な神聖な存在と見なされていた。

 

・「共産主義からの守り手」の誇りを崩さぬアメリカ

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 長きに渡る冷戦において資本主義の守り手として戦ったアメリカは、政府による国民への規制に対して桁違いのアレルギーがある。

 規制=共産主義、というロジックでいかなる改革も踏みにじることができる彼らにとって、福祉とは恥ずべきものであり、国民一人一人の自助努力こそ美徳とされてしまう。

 

 とはいっても彼らは一歩遅れて資本主義の恐さを学び始めてるのかもしれない。イラクへの介入やリーマンショックを経て疲弊し始めたアメリカでは、ブッシュ政権は恥辱と見なされ、キリスト教原理主義にすり寄って労働者を操った共和党はトランプによってめちゃくちゃに荒らされた。

 オバマケアなどの改革もあまりうまくいっていない上、新しい大統領を選んでいる真っ最中の彼らだが、資本主義への姿勢は確実に変わりつつある(と願いたい)。

 

・アメリカを笑っていられない日本

 驚きの速度で近代化を遂げた日本もまた、資本主義のもたらした世界的利権争いの渦中にあった国である。

 列強国の植民地支配に必死に抗い、第一次世界大戦においては戦勝国側となった日本は経済的に莫大な利益を得た。そして第二次大戦では大国アメリカと戦い、自国は焼土と変えされた上にあまりにも多くの人命を失った。

 資本主義の恩恵と恐ろしさを目にした日本。しかし戦後の新しい制度を作り上げていく過程で、凄まじい好景気、高度経済成長を迎えてしまった。

 資本主義は戦後、ひたすらに成長の要であり、その恐さはあまりフォーカスされないままになってしまったのかもしれない。

 

 他国とは全く異なる近代化を遂げた日本。その異形の成長形態にこそ日本独自の知恵と力強さがあったのは間違いない。

 しかし異形の近代国家日本の負の側面、戦後暴走している資本主義とどう向き合うかを考える機会がもっとあれば、最近物議を醸しているブラック企業問題のような暗いニュースは減っていたのかもしれない。

映画 マイケルムーアの世界侵略のススメ

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・あらすじ                                                                                                 

第二次世界大戦以降、なかなか戦争に勝てない割に軍事費がとてつもない額になっているアメリカ。

それならアメリカ軍に代わって私(マイケル・ムーア)が代わりに他国を侵略して、資源の代わりにいろんなアイディアを盗んできます。

そんな無理やりな設定で各国を訪れては、アメリカよりもはるかに恵まれた制度を次々と紹介していくドキュメンタリー作品。

 

マイケル・ムーアが盗んだ他国の制度(公式サイト情報+少しネタバレ)

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テロや移民問題、EU関連のニュースで何かと暗い話題が目立つ西欧諸国ではあるが、彼らが常識として享受している制度はすさまじいほど恵まれている。

アメリカ人の目を通してこれらの常識を改めて紹介されると、彼らの豊かな生活に羨ましさが止まらない。

(以下主要な紹介国)

・イタリア 年間有給8週間+祝祭日+毎日2時間の昼休み休憩+etc

・フランス 低予算なのにシェフ付きの高級学校給食

フィンランド 長時間の学習時間、宿題廃止+統一テストの廃止+世界でトップレベルの学力

・スロヴァニア(+20カ国以上) 大学の学費無料

 ・ドイツ 休日中の部下に上司が連絡を取るのは違法。終業後に部下にメールを送るのも禁止

 ・ポルトガル あらゆる麻薬の所持、使用を非犯罪化+麻薬使用率の激減

 ・ノルウェー ホテルみたいな刑務所+残虐な刑罰の一切を禁止+再犯率の激減。

 ・アイスランド 世界初の女性大統領を輩出+男女平等の徹底+

リーマンショック後に不正に関わった銀行家を全員収容+劇的経済復活

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 イタリアの年間8週間の有給+何かにつけてお休みがもらえまくる制度は別格だが、その他の紹介国も当たり前のように数週間分の有給が保証されている上、消化率は当然のようにほぼ100%である。

 医療や教育の無償化に代表される優れた福祉制度も当たり前の存在。職場のストレスや長時間労働も徹底的に規制する。

 

 彼らはなぜそこまで恵まれているのか。どうやってそんな制度を築き上げてきたのか。そんな疑問提示に応えるように、ヨーロッパの歴史や、これまで辿ってきた苦難の道のりをも紹介してくれる本作品。

 そこで繰り返し示されるのは、権力や体制といかに向き合うべきか、という問いと、マイケル・ムーアの十八番のテーマである資本主義の負の側面である。

 

・権力の恐さを知ってるヨーロッパ

 

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 かつて絶対王政と教会権力によって支配されていたヨーロッパ。1789年のフランス革命と共に多くの血を流して自由を勝ち取った彼らは、あらゆる権力が流動的で、常に監視していなければ暴走する存在であることを、痛いほど知っているのかもしれない。

 革命によって自ら近代世界、そして民主主義を勝ち取った彼らは常に体制を監視し、やたらに干渉する。

 大学の学費を取ろうとしたら各国でデモが起きる。強力な独裁者は一人の青年の自殺をきっかけに追放される。女性の地位を落とせば経済も崩落する。

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 常に権力と向き合い、試行錯誤を繰り返し、歴史を振り返る彼らだからこそ、労働環境や福祉の圧倒的恩恵を維持できるのかもしれない。

 お休みをもらいまくっているイタリアの年間の生産率は、フル稼働のアメリカ人や日本人の職場よりも高い。

 

・資本主義の恐さを知っているヨーロッパ

 

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 権力の恐さをさんざん学んだ彼らではあるが、近代と共にもたらされた資本主義経済との向き合い方を学ぶには多くの苦難があった。

 

 19世紀以降、西欧各国の強いナショナリズムの形成を促した資本主義は、資源や植民地などの利権をめぐって、世界中で血みどろの戦争を繰り返させる原動力であり続けた。

 そんな資本主義に反抗した人々は不安定な共産主義勢力を拡大させ、新たな独裁権力を誕生させる。

 そういった共産主義への反動で、今度は資本家に支持されたファシズムの暴力が吹き荒れる。

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 そんなむちゃくちゃな混乱の中で世界大恐慌が起こり、もはや暴走は極限レベルに達する。第一次世界大戦、そして第二次世界大戦である。

 ヨーロッパ全体が血にまみれた戦地となり、いくつもの村が壊滅し、莫大な数のマイノリティーが虐殺された。

 

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 そんな混沌を経験したヨーロッパは、資本主義の脅威を骨身にしみて学んだのだろう。

 今日でも企業の不正に厳しく目を光らせ、労働環境を徹底的に改善する彼らは、資本主義による利潤追求が人間の生命を脅かすことを決して許さない。

 

 そんなことを考えさせてくれる本作品。タイトルは少し過激だが、マイケルムーアの皮肉なユーモアを通じて世界を覗かせてくれる良質のドキュメンタリーである。


『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』予告編