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映画 海を飛ぶ夢

二つの魂が見た生と死とは?

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 若き日の情熱を愛と旅に託していた青年は、ある晴れた日の故郷の海である光景に目を奪われる。

 それは海岸で髪をなびかせながら、瞳を閉じて物思いに耽る美しい女である。

 その光景に心奪われた彼は、気づけば高い崖から大海に飛び込んでいたのであった。

 深みがあるかに見えた海は引き潮であった。

 海底に身を打った彼は、五体の自由を奪われた生活を20年以上も重ね、やがては死を望むことになる。

 

 尊厳死を求めて絶望の日々を過ごす主人公ではあるが、彼の苦悩や彼の思慮深い言葉や、彼の身体的拘束と反比例するかのような想像力と言葉の世界に、多くの人々が、そして何よりも女性達の愛が集まる。

 本作品の中では彼を愛した女性たちの中でも、特に4人の女性たちの心情が極めて繊細に描かれる。彼の母親的な存在である義姉のマヌエラと、彼の尊厳死の権利を求めて戦う人権団体のジュネ、そして愛を求めてやまない衝動的なロサ。そして進行性の若年性認知症や失明を有する絶望から、彼の苦悩を最も理解し、かつ彼の豊かな心的内情に共鳴する美しい弁護士ローザ。

 

 尊厳死を求めて戦う主人公に対して国の制度や宗教など多くの障壁が立ちはだかる。しかし何にもまして彼を苦しませるのは、愛ゆえに彼の死を許さぬ兄、そして死を望む彼に対して静かに悲しみ続ける高齢の父であったかもしれない。あるいは彼と共に戦った、思慮深く志の高い職員にすら隠された、彼の死の望みに対する本質的な無理解かもしれない。

 しかし彼が愛し、かつ彼を愛したローザが、ともに尊厳死を約束した後に打たれたある直感、死の直前で彼女を引き止めたある感覚こそ、最も彼を絶望させるものはなかったのではないだろうか。

 本作品の死生観、そして誰よりも互いを深く理解しあう主人公とローザにすら横たわる死生観の相克をこそ描いた点にこそ、この作品にどんな他作品にも超えられぬ特別な価値が与えられていると思う。

 

 主人公が絶望の中で、その美しい想像力を羽ばたかせて綴った美しい詩の数々。彼の豊かな過去の記憶や、孤独の中でひっそりと綴った美しい文章を掘り起こした彼女は珍しいほどに彼を動揺させる。それは彼が身体の麻痺に苦しむ日々に心の奥底に隠していた最も高貴な神殿であったのかもしれない。

 しかし互いの苦悩を共有することでそれらの文章を見つめ直した二人は、絶望の中で光を摘み取るように、ともに美しい詩の数々を作品として残そうと試みる。

 互いに隠し持った愛情を芽吹かせつつ、詩的な言葉を重ねて編集されたその詩集は、彼らにとっての生命そのものである。

 

 詩集の出版後に互いの尊厳死を約束したローザは一度都会に戻り、満ち足りた気持ちでその本の出版を果たす。

 しかしふとした瞬間、彼らの生命であるその本の製造過程を工場で目にした彼女は、唐突に喜びを見失い、我を失ったかのような空虚な顔つきになってしまう。

 その瞬間に彼女が見つめていたもの、それは機械的で殺伐とした過程を経て詩集が製造され続ける機械運動の光景であった。

 

 一方の主人公が尊厳死を求めて都会に向かう際に恍惚と見る光景は極めて対照的である。親に叱られる少女、手を取り合って走る若い男女、後尾する動物、農作業をする老婆、すっかり風化した十字架の像、自転車を走らす青年、森、空、そして機械的に回る風力発電の光景である。

 

 それぞれに死を覚悟した人間が見る二つの光景。その光景に果てしない絶望を見たローザは死を拒み、渾身的な夫にしがみつく。そして主人公をかつてなく絶望させたのである。

 

 それは曇りなく生命を見つめた時に我々が見いだす二つの景色ではないか。

 我々の肉体、そして生命というのは自然法則の派生であって、我々の死後に向かう場所は機械的な虚無の世界であると見るか、あるいはその虚無にすら見えかねない世界にこそ、生命の奇跡と美、そして畏敬を見るか、という二つの世界観。

 限りない絶望を負った主人公ではあるが、彼が死を覚悟した後に世界に見たものとはなんだったのであろうか。

 

 美しい光景と言葉を通して彼の死生観を静かに、しかし緻密に描いた本作品は我々に生と死を再び見つめさせるであろう。

 


The Sea Inside (Mar adentro) [Oscar's Best Foreign Movie]