イーライ・ロス監督 映画 ノック・ノック

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・あらすじ

 LAの郊外の高級住宅。家族4人とわざとらしいほど幸せに暮らす主人公の父。

 とある大雨の夜に訪ねてきた2人の美女を雨宿りさせた彼は一夜の快楽に身を堕としてしまう。

 翌朝起きると、一夜を共にした2人は豹変し、狂気に満ちた行動を繰り返し始める。

 彼女たちから逃れられぬ主人公はやがて破滅の道を辿っていく。

  

・残虐さだけじゃない、イーライ・ロス作品

 

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 毎回あまりにも残虐すぎる描写で世間を騒がせるイーライ・ロス監督ではあるが、巷に溢れるチープなエロ・グロ映画とは一線を画す作品を作る監督である。

 彼が毎回作品で描くのは、いわゆる「文明」側に属している(と思い込んでる)人間が、興味本位なり、若気の至りなりで「野生」の世界に入って生き、自分の価値観では全く追いつかぬ混沌に触れ、やがては…、という展開。

 本作も一夜の快楽に身を落とした彼は地獄を体験することになる。

 

・監督おなじみの世界観 

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 えげつない食人描写を描いた前作、『グリーンインフェルノ』でも、あまりにも過激な描写の数々に観客を限界状態に追い込みつつ、同時に観客に重要な問いを投げかけてくるイーライ・ロス

 人間と動物の境界性はどこか、真の環境保護意識とはどのようなものであるか、「文明人」こそ真に野蛮な存在ではないか。

 そんなことを考えさせては、観客側の「わかったつもり」をひっくり返すように、衝撃的な展開を持ってくる意地悪な手法は本作でも繰り返されることになる。

 そんなイーライ・ロスが今回描くのは、理想的男性像(?)キアヌリーブス扮する建築家が、夜な夜な訪ねてきた2人の美女にめちゃくちゃにされる話である。

 

・可愛いワンちゃんと戯れるキアヌ・リーブス

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 なぜか本作では、ワンちゃんと戯れるキアヌのシーンがアンバランスに多い。

 展開上特に意味はないのに映されるワンちゃんとキアヌのしつこい描写は、もしかしたら以前のキアヌ主演作『ジョン・ウィック』を文字っているのかもしれない。

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(過去の殺し屋稼業から足を洗った元一流ヒットマンのキアヌが、ワンちゃんを殺されたことで殺人マシンに戻るガンアクション)

 ワンちゃんについてはただの深読みかもしれないが、いたずら心溢れるイーライ・ロス監督の作品は、どんなに深刻なシーンでも常にどことないユーモアを感じさせてくれる描写を入れてくることが多い。そんなバランスもまた、彼の激しいエロ・グロ・ナンセンスな描写が苦手な観客を安心させてくるれるのかもしれない。

  

・野生、野蛮性と戯れる人間たちへの復讐

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 「物事は自分のデザインで決まる」と語る主人公は、建築家であり、「善き父」でもある。自他共に認める「いい人」の主人公は、なぜイーライ・ロスの残虐世界を経験しなければならなかったのか。

 注目したいのは、家中に飾られている妻の作品。妙に古代的、呪術的なモニュメントが多く、繰り返し映される。明らかに男性器を模したものや、かつて大地に豊穣を祈願する際に作られた女性像みたいなものもある。そんなアーティストの妻と深く愛し合っており、家族と怪物ごっこをしては、間抜けに戯れている描写も無駄に長い。

  彼にとって芸術的衝動世界や怪物性は、理性の下に管理されたものであり、鑑賞したり戯れたりする対象でしかなかったのかもしれない。

  そんな理性的な「善き父」が、大雨の夜に訪ねてくる美女二人に、その理性を揺さぶられる。そして管理していたかに思えた混沌や衝動世界をナメていた主人公は、その脅威を骨身に染みるまで体験することになる。

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 見方によっては「男性嫌悪」にも「女性蔑視」にも捉えられかねない本作ではあるが、要は自分の知らない世界、あるいは自分のナメてる世界に無理解なままで入って行くと恐ろしいことになる、そんなメッセージを体験できる作品であることは間違いない。

 映画作品の描く未知の世界を、画面を通して呑気に鑑賞できる観客。そんな観客の常識や「知っているつもり」な感覚を、過激な描写や一貫した疑問提示と共に揺さぶるイーライ・ロス監督。今後もぜひとも注目していきたい。