・あらすじ
19歳のジェイはある男から“それ”をうつされ、その日以降、他の人には見えないはずのものが見え始める。動きはゆっくりとしているが、確実に自分を目がけて歩いてくる“それ”に捕まると確実に死が待ちうけるという。しかも“それ”は時と場所を選ばずに襲ってくるうえ、姿を様々に変化させてくるのだ。いつ襲ってくるか分からない恐怖と常に戦い続けながらジェイは果たして“それ”から逃げ切ることができるのか!?誰も体験したことのない<超・新感覚>の恐怖がずっとあなたに憑いてくる―。
・アメリカ独自の「呪い」の法則
“それ”は他人にうつすことができる
“それ”はゆっくりと歩いてくる
“それ”はうつされた人間にしか見えない
“それ”に捕まると必ず死ぬ
この謎の設定によって繰り広げられるホラーな世界観は、世界中の観客を魅了し、その解釈をめぐって多くの話題を読んだ。
モンスターあるいは悪魔的な存在が主流に見えるアメリカのホラーで、ジャンプスケアーもなくしっとりと、しかしかなり怖い異色のホラー作品。どこか日本の『リング』シリーズを彷彿とさせる。
・若者と死
“それ”が感染する人間はみな若者であり、性行為によって他人にうつる、ということから、「性感染症」の恐怖をホラーとして描いたのだ、という解釈が多くの賛同をよんでいる。
テーマについて詳しく説明することを嫌うデビッド・ロバート・ミッチェル監督ではあるが、上記の解釈に対してははっきりとNOを突きつけている。
あまりにも断定的な解釈は否定したものの、多くを語らぬ監督は以下のように語る。
人生のある時点で、性を恐ろしいと思うような時期があると思うんだ。人の人生には得体の知れないあらゆる不安が押し寄せてくる時がある。それを、別のレベルで表現してみるのも面白いと感じたとだけ伝えておくよ。
公式ホームページより
・作中の冒頭、ラストで引用される、ドストエフスキー『白痴』
「拷問には苦痛と傷が伴う。
肉体的苦痛は精神的苦痛を超越し、人は傷の痛みに死の瞬間まで苦しむ。
だが最悪の苦痛は傷そのものではない。
最悪の苦痛は、あと1時間、あと10分、あと30秒で、そして今この瞬間に
魂が肉体を離れ人でなくなると知ること。
この世の最悪は、それが避けがたいと知ることだ」
ー映画字幕より
ドストエフスキー自身が現実に体験した処刑場への連行経験をもとに書かれた、主人公ムイシュキン公爵の銃殺される寸前の心境である。
結局銃殺を免れた主人公ではあるが、あまりにも直接的に「死」の想念を経験した彼は、以降重い癲癇を患った後に「無条件に美しい人間」として、俗世に降り立つことになる。
もし現実にキリストが復活したら世の人間はその存在とどのように接するか?真実の愛と憐れみの愛とは?理性と激情を調和させるものとは?
そんなドストエフスキーの生涯のテーマを描いた傑作中の傑作、『白痴』が中心として扱ったのもまた、「死を目撃してしまった人間」についてである。
・なぜ“それ”は若者にしか訪れないのか
本作品で若者にしか“それ”(つまりは「死」)が見えないのは、子供でもなく、大人でもない不安定な「若者」という存在が、生の限界や気味悪さを感じてしまいつつ、そこに愛や希望という救いを見出していく課程を描きたかったかもしれない。
受験や就職活動など、社会に設けられた様々な通過儀礼を通して、少しずつ大人になっていく若者は、やがては死を忘れ、“それ”も見えなくなるのかもしれない。
“それ”を見ては悲鳴をあげて逃げ回り、自分に残された自由な時間を不安に重ねながらも、“それ”に打ち勝つ何かを探し求める。
そんなかつてあった我々の「生」をもう一度思い出させてくれる、一風変わったホラー映画の傑作である。