絵画 『羊の剪毛』

 

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 上野にある国立西洋美術館に一点、心惹かれてならない作品がある。

 常設点も終わりに近い近現代美術の作品群の手前。暖色に照らされた、19–20世紀の美術作品を並べる部屋の中に、その作品はある。

 

  『羊の剪毛』と銘打たれたその作品は、同じ空間に並ぶエキゾチックな文化風景や、ダイナミックに自然を描いた神話的な作品群と違い、農民の日常を切り取った、とり分けて静かで、地味な作品である。

 しかしその絵画を一目見たときから、その平和な風景からにじみでる慈しみ深さ、行ったこともない風景に対する懐かしさとでも言えばよいのだろうか。なんとも言えぬ説明し難い魅力に心掴まれてしまったのを覚えている。

 

 ひときわ存在感を持って描かれる角ばった石柱、その石柱に支えられた大きな屋根によって、絵画全体は薄暗く、単調な色彩である。

 

 柱に寄りかかり、身を起こしたままやや力強く羊を抱く夫とは異なり、羊をあやすように地べたに座り、優しさに満ちた表情で羊を見下ろす妻は、単調な色彩の空間の中では特に目を惹かれる、真っ赤なバンダナを巻いている。

 

 愛らしく傾けられたその顔の左半分は、外からの陽光によって、その微笑みの柔和さがよりはっきりと照らし出される。

 この絵画に最初に魅了されたのも、この農婦の、あまりにも美しい表情だった。

 

 毛を刈られる羊たちは反抗することもなく穏やかに、その身を人間に委ねている。

 地平線の浮かぶ外界の風景と羊たちは、絵画全体を覆う大きな屋根と柵によって隔てられているも、何匹かの羊たちはねだるように屋根下の夫妻を見つめる 。

 他の羊たちも奥にあるもう一つの屋根を支える石柱の下に群がっている。

 

 鮮やかな陽光に照らされた、色彩豊かな大自然が描かれているにもかかわらず、単調でほの暗い、人工的な空間こそが、より美しく、平和な風景に見える。

 そして人工的な空間の魅力の大部分は、作品中心に座りこんだ、赤いバンダナの女の所作と表情によって担われているように思えてならない。

 

 宗教的モチーフも当然あるであろう本作品であるが、絵画を読み取る知的な楽しみ方を差し置いてでも、情緒において真っ先に見るものを掴む。

 神でも自然でもなく、人間中心の殺伐とした近代世界の暗さ、単調さを視覚的に見せられながらも、その空間に存在するひそやかな平和、生への慈しみ、その生命の美しさそのものを、赤いバンダナの女に教えさとされているようだ。