映画『私はダニエルブレイク』

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あらすじ

イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエルブレイクは、心臓病を患い医者から仕事を止められる。国の援助を受けようとするが、複雑な制度が立ちふさがり、必要な援助を受けることができない。

悪戦苦闘するダニエルだったが、シングルマザーのケイティと二人の子供をの家族を助けたことから、交流が生まれる。

貧しい中でも、寄り添いあい絆を深めていくダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを次第に追い詰めていく。

 

—公式サイトより

 

 ダースベイダー or アンチダースベイダー

 

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 政治的なテーマを取り扱った映画作品は大抵2種類に分けられる。

 ダースベイダー的な作品と、アンチ・ダースベイダー的な作品である。

 

 近代的合理主義をひたすら肯定し、秩序を乱す集団を悪として、それと戦う主人公を「正義」とするような作品はダースベイダー的と言えるだろう。

 民主主義が理想に満ちていた時代や、北欧諸国のように、「制度」そのものが優れた世界においては、ダースベイダー的な作品ほど、感情移入して見られるものはない。

 

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 反対に、生命への畏敬の念、そして個人の尊厳や、当たり前の幸福を肯定し、それを脅かす「制度」と戦い続ける人間を描く作品はルークスカイウォーカー的、つまりはアンチ・ダースベイダー的な作品と言える。

 ケン・ローチ監督の面白いところは、彼は完璧にアンチ・ダースベイダー的な映画を撮り続けていながらも、ルークスカイウォーカー的な理想に隠された闇も包み隠さずさらけ出すところだ。

 

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 人間の卑小さ、ずるさ、制度なきところに存在する血縁的な闘争、保守化せざるを得ない善人、…。

 「エリックを探して」や「天使の分け前」など、人間のダメさ、だらしなさを暖かい目線で見守りつつ、ダースベイダー的な存在に一泡ふかせるコメディは、個人的に大好物である。

 

 元も子もないことを言ってしまえば、ケン・ローチ監督は、ルークとダースベイダーのように簡単には、世の問題を二極化できないことを教えてくれるのだ。

 

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 しかしそんな彼が極めてアンチ・ダースベイダー的な映画を撮るとき、しかも引退宣言を撤回してまで、現代を取り扱った殺伐とした作品を撮るとき、改めて現代の制度に、なにか切迫した不安を抱かされる。

  

ダースベイダーは自分の人間性を発達させていなかった。

彼はロボットだった。

自分自身の意志ではなく、押し付けられたシステムに従って生きる官僚だった。

これは今日の私たちみんなが直面している脅威です。

 

ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』

 

精神を失き「制度」の再来

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 国家行政の極度な民営化により、人間の当たり前の権利すら営利追求と乾いた制度によって拒まれる。

 そんな中でひとり尊厳を守り、貧しい隣人たちを助ける善人が戦い、打ちのめされていく過程を描く本作。

 監督であるケンローチは常に、近代的、功利主義的価値観によって、人間性が破壊されつつある中で、形骸化した「功利主義」に戦いを挑む市民たちを描き続けてきた。

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 そんな彼らが人間らしい当たり前の生活を求めるとき、常に彼らの前に立ちはだかる近代的な「制度」。

 その制度が、現代に至って、より一層、冷たく、形骸化した、善意のかけらすらない存在になっていることが、1時間40分にわたってあまりにも現実的に見せつけられるのが本作である。

 

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 日常生活の中に潜むささやかな善意、愛情、共感を繊細に描き続けてきたケンローチ。

 本作でもそれらは余すことなく、感動的に描かれるも、その感動にはくらい影が落とされることになる。

 

 スカイウォーカーはいずこに消えてしまったのか。