あらすじ
服役中の夫の帰りを待つアナ。家族で経営するバーで嫌々働く彼女の元に、ある日見慣れぬ男性が現れる。他の男たちと違って大声で下品な冗談も言わず、物静かで身なりも比較的きちんとしている。
どこかミステリアスなその男=ホセ(アントニオ・デ・ラ・トーラ)は毎日店にやってきて、徐々に客たちや店で働くアナの家族たちとも打ち解けていく。
アナもまたそんなホセに惹かれてゆき、2人はやがて男女の仲になる。しかし彼の正体は…、
一部公式サイトより抜粋
正体不明者、アントニオ・デラ・トーラ
映画『カニバル』で食人鬼を演じたアントニオ・デラ・トーラ。
食人鬼はとある女性の中に隠された善意や愛を見いだしていき、とある女性は男の中に隠れた狂気を見出していく。どちらの目線にも、「あなたは一体何者なの…?」という人間の正体不明性を前に、呆然と立ちすくむ人間の姿が映る。
本作でも、アントニオ・デラ・トーラ扮する主人公は相変わらず正体不明者である。孤独で、得体の知れない行動原理を持つ彼の姿は、ほとんど食人鬼のそれと変わりない。
しかしこの作品に出てくて来る正体不明者は彼だけではない。
むしろ作品に出て来る登場人物全員が、正体不明者だと言っていい。
主要人物全員が正体不明者
そんな言い方をすると、何か実験的な映画のように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。
そもそも初めて観る映画の登場人物が正体不明なのは当たり前である。
しかし主人公の目線とともに、彼と交流する人々の日常が生き生きと描かれながらも、彼らが予想もできない一面を隠し持っているところに、本作の面白さがある。
寡黙に人々を観察し、人々の話をじっと聴き続ける主人公の態度は、通常の映画作品以上に私たち観客の目線と重なるものがある。
そしてじっと見、聞き、交流し続けてきた彼らが、全く予想と異なる存在であることに、観客はリアルな実感をもって驚かされる。
主人公、主人公の友人たち、恋人、憎むべき敵、病院の寝たきりの男性、彼ら全員の見え方が、映画を見始めた時と、見終わった後で大きく変わることになる。
現代人にぴったりな人間観
このような人間たちの姿は、建前と本音を巧みに使い分けねば生きていけない現代人にとって、とても親しみ深い姿ではないだろうか。
全く異なる背景を持つ人間たちが日常的に交流し、友情を育み、愛し合う。しかし彼らの正体を、私たちはどこまで知っているのだろうか。
本作でも何度も映されるソーシャルメディアにおいては、より一層美化された表層同志の交流の裏に、見えざる人間たちそれぞれの、複雑な思いが渦巻いている。
隠された「闇」ではなく隠された「光」
「復讐」や「殺人」と言ったまがまがしいテーマを含む本作であるから当然、裏切りや嫉妬、暴力性と言った「闇」が、人間の中に見え隠れする。
しかし復讐に取り憑かれた主人公が全く気づかなかった、隠れた光もまた、本作のいたるところで見え隠れする。
映画の最終パートに至っては、観客も主人公も全く気づくことのなかった、隠された「光」が、彼のすぐ近くに存在していたことを知ることになる。
正体不明者だらけの本作で真に描きたかったもの、それは人間に隠された闇ではく、むしろその正反対であったのかもしれない。
ミステリアスな主人公と正体不明者たち。とめどない不安の中で描かれる復讐劇であるにも関わらず、見終わった後にはきっと、何か暖かい感情が残るはずだ。