ヨーダ について

 

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 ダースベイダーとルーク・スカイウォーカーの戦いを観て、私たちは当然のようにルークを応援する。ベイダーは秩序を、ルークは生命の豊かさを体現している。

 体そのものまでもが機械化した、コテコテの秩序の化身たるベイダー。彼はなぜ「悪」として倒されなければならないのだろうか? 

 ベイダー属する「帝国」は、混沌を許さない。何から何までガッチガチのルールで縛る。現実にもそういう人はいるし、悪役として倒されてこれほど爽快な存在もない。

 しかし「敵」を倒す正義たるルークはどうか。彼の体現する「生命の豊かさ」は善なのだろうか。 

 ルークは自己の能力も知らず、辺境で平和に暮すただのボンクラであった。英雄となって以降も、困ったら味方をほっておいて辺鄙な星に引きこもるダメ人間である。彼には確固たる秩序がない。

 秩序への反抗者はしばしば危険な存在である。

 彼が属する「生命の豊かさ」表象チームは、作品さえ異なれば簡単に「悪役」になり得る。それは時にテロリストであったり、殺人鬼であったり、精神錯乱者であったり。彼らは正義たる「秩序」によって、あの手この手で追い詰められ、ぶちのめされている。

 その豊かな生に洗練と意義を与える存在なくして、彼らもまた敵を憎む資格などないのである。野放しの「生命の豊かさ」など、簡単に混沌となり得る。

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 完成されていないルーク。彼は前進を求める。しかしどこに進んだらいいのか、どのように進めばいいのか、戸惑い、試行錯誤の日々である。

 彼には意思の力が足りない。すぐに立ち止まり、停滞する。

 ここで秩序の人、ダース・ベイダーの力を借りたらどうなるか。ひとかどの人物にはなっただろう。しかしその先には帝国の発展、帝国の拘束があるのみ。行先にあるのは帝国の豊かさである。

 帝国は生命を拘束する。帝国は生命を機械化する。そこにはやはり、生命の豊かさが欠けている。 

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 彼らに必要なのはヨーダなのだ。

 秩序を知りつつ、秩序に服従せず、秩序に遊ぶ賢人が必要なのだ。

 ルークを小馬鹿にしてはポカスカ殴って鍛え導く、あの賢人ヨーダは何処に。

 人々に忘れられかけた辺境の地に、混沌の渦巻く異境に在る。

 彼が師に出会うために、まずは冒険が必要である。非日常、異境への冒険だ。

 そこにきっとヨーダが待っている。