コイナーさんについて

 

コイナーさんは客としてもてなされるとき、あてがわれた部屋は最初の状態のままにしておいた。

個人がその環境に自分のしるしを押すのは、つまらないことだと思っていたからだ。

逆にコイナーさんは、自分の存在を、泊めてもらう部屋に合うように変えようと努力した。

だからといって、これこそが彼の狙いだったのだが、居心地が悪くなることは許さなかった。

 

ブレヒト著『暦物語』(光文社古典新訳文庫、丘沢静也訳)「コイナーさんの物語」より

  

 どんな環境でも、夢のように自分にぴったりの環境なんて存在しないだろう。学校でも職場でもなんでも、自分を喜ばす存在も当然あるけれど、自分に合わないもの、苦手なもの、苦痛を強いるものもまた、少なくはないのではないだろうか。

 そんな環境とは時に戦い、葛藤するのも大いに善いことだろう。しかしコイナーさんのように、部屋の環境に自分を合わせたって別に良いのだと思う。

 ほとんどブレヒト本人の化身であるコイナーさんが、彼の豊かな感受性を宿して居心地よく部屋にいるのであれば、たとえそこが不正や苦悩に満ちた部屋であったとしても、美しい詩の1つや2つ、心の中に湧いて出てくることもあるだろう。

 部屋の環境に「我」を押し付けて部屋の環境に印を残すのは素晴らしいことだ。とはいっても、部屋と自分との相違など気にしないで、「我」に安らぎと喜びを与えるのだって、おんなじぐらい素晴らしいことだと思う。「居心地の良さ」が、いつか花を咲かせることもあるだろう。

 そんなコイナーさんだから、下のような話もしてくれたのだろう。

 

よその家に行って泊めてもらうとき、コイナーさんは休む前に、必ずその家の出口の数だけはチェックした。

理由を尋ねられて、きまり悪そうに答えた。

「昔からの困った癖でしてね。バランスが気になるんです。自分が入った家に出口が1つ以上あると、安心できるので」 

 

ー同上、「コイナーさんの物語」より 

  

 誰が1つの部屋に留まっていなければならないと決めたのだろうか。部屋に合わせるべく努力しても居心地が悪いなら、そんな部屋など出て行ってしまっても構わないのではないだろうか。

 それは単にコイナーさんの悪癖で、たとえ出口を知っていたにしても、本当に出ていくことは滅多にないのかもしれないのだけれど。