この不安な日々を予行演習だと思えばいい。みんながいずれ通る道、その少し早過ぎる予行演習だと。
日常が徐々に様変わりして、出来ることも段々と限られてくる。
また日常に戻れるかもしれないが、もしかしたら、もう戻れないかもしれない。
日常を取り戻すために心を砕くも、その努力をどこに向わせればいいのやら。
突き詰めて言えばこの運命の主導権は、自分自身にはないらしいから。
かすかな可能性にも必死ですがりつき、迷いに満ちた祈りを捧げる日々。
それは私たちがいずれ通る道。
息苦しく他人と競争しながら、安全と平和を貪っている時には霞んで見えた道先だ。
日常が崩れ去るとき、仄かに道先が照らし出されているとき、
人は絶望する以外にも、たくさんのことができることを思い出そう。