映画『カニバル』

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・あらすじ

優れた腕を持つ仕立屋として慎ましく生活する主人公。

彼は夜な夜な出かけては女性を殺して食べてしまう食人鬼であった。

ある日美しいルーマニア人に目を奪われた彼は、予想外の感情を経験する。

愛を知った食人鬼がのちにとった行動とは。

 

・野蛮性を全く感じさせない食人描写 

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 主人公には女性を殺した後に必ず訪れる山小屋がある。

 人間世界から隔絶した、雪の降り積もる山頂。何かしらの神聖な雰囲気の漂うその「高み」の場所で行われる解体作業。それはあまりにも静かに描かれる。

 そんな場所で丁寧に切り分けたお肉を自宅に保存し、さらに丁寧に調理したものを静かに食べる主人公。

 本来食人に感じるべき嫌悪感や恐怖が全く感じられない。

 

・なぜ食べてしまうのか

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 人間を食べてしまう狂気、いわゆる「カニバリズム」は意外と多くの映画作品で描かれている。ハンニバル・レクターのような悪魔的な存在として、あるいは『グリーン・インフェルノ』のような野蛮性として、あるいはあまりにも多くのホラー映画に出てくる性的倒錯者として、など様々である。

 本作品の主人公も性的倒錯者の部類に入れてみれば一風変わったホラー映画として楽しめないこともない。

 しかし主人公は優れた腕を持つ仕立屋さんとしてお偉いさんからのオファーも多い。質素ながらも極めて上品な生活を送る彼はルックスに関しても、アントニオ・デ・ラ・トーラ演じるかなりのいい男である。

 にもかかわらず彼は女性への愛を「食べること」でしか昇華できない。それは一体なぜなのか。

 

・作品内に漂う宗教色

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 主人公は聖母マリアの肖像を飾るマントを装飾する大仕事を任されていたり、教会の聖餐式(キリストの血肉をワインとパンとして食す)に出席していたり、仕事場でミサ曲を流していたりと、何かとキリスト教と関連した描写が多い。

 黙々と仕事をしては、質素で孤独な生活を続ける主人公の姿も、どこかしら修道僧や聖職者のように見えなくもない。

カトリック大国スペイン

 映画の舞台となっているスペインは、宗教改革以降もカトリックの守り手として強い宗教色の残る国である。カトリックの聖職者は一切の性行為を禁じられており、その愛はひたすらに神に捧げられるべきものとされる。

 どこかしら宗教的な存在感を放つ食人鬼の主人公の姿。それは、極めて高潔であり、尊厳深いながらも、どこかいびつさを感じさせるカトリックの厳しい教義と重なる(ような気もする)。

 そしてそんな彼の姿を通して、スペインの血塗られた宗教史が垣間見える(ような気もする)。

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・主人公が出会う二人の女性(以下ちょっとネタバレ+深読み) 

 劇中で主人公がとりわけ心を奪われる二人の女性。それは女優オリンピア・メリンテによって一人二役が演じられる双子の姉妹である。

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 妹のアレクサンドラは極めて奔放な女性であり、主人公にも積極的に接近してくる艶やかな女性。

 その妹を探してやってくる姉のニーナは慎ましく、家族思いの悩める女性である。 

・二人のマリア

 ところでキリスト教には同名であり全く異なった存在の二人の聖女がいる。それは聖母マリアマグダラのマリアである。

 一方はキリストの母であり、処女でありながら神を生んだ存在として「無原罪」の聖人とされる。

 他方のマグダラのマリアは(教義によって異なるが)娼婦としての過去を改悛して聖女となった存在として、神聖でありながらも「罪の女」と見なされることもある。 

 主人公を肉体的に欲し、積極的にアピールしてくるアレクサンドラは比較的早めに食べられてしまうが、主人公の孤独を癒し、母性的な愛で静かに慕い続けるニーナへの愛は、新たなる次元まで昇華されることになる。

 

・難しく考えなくてもいい映画

 作品全体を通して漂う、静かで神秘的な雰囲気や、何かもの言いたげな描写が多いためか、これは正座して見なければ、と言った感覚に襲われる本作品。それが原因か、評判に関して「よくわからない」、「退屈」と言った意見をよく耳にする。

 どこまでも深読みする要素があることは間違いないが、もっと気軽に見ても絶対に観て損はないと思う。

 「まともに見えて、実は人に言えないような狂気を秘めている人間 」という誰にでも通づるテーマを、静かに、そして美しく描く本作品。各々の隠し持つ狂気と照らし合わせながら、もっと多くの人に楽しんでもらいたい。