正月について

 


 年の「終わり」と「初まり」を見守る時、人はそこに人生そのものを改めて意識し、その奥に少しだけ、死を垣間見る。

 子供達はいつも以上に目を輝かせるオトナたちに小首をかしげながら、やがてはまどろみ夢の世界へ。

 その驚きに満ちた毎日に、年越しという日来てもなんのその。それはお菓子についているオマケのようなものだ。明日も新しい日がやってくる。明日も新しいオマケが欲しくなる。

 オトナたちはそっと忍び寄る死の気配に、日常感覚の麻痺を与えられて初めて、味わい忘れていた人生の旨味、苦味を味わう。友人知人、テレビ、メディアのお祭り騒ぎに多少食傷したその舌で、年に一度の珍味に味わい酔いしれる。

 みんな固唾を飲んでカウントダウンだ。5、4、3、2、1…。

 数え終わった数字達の儚さよ。

 その数秒前に去年が存在していたこと、それは過ぎ去った青春の日々、幼年期の日々にも似て、小さな死の如く遠い。

 あけましておめでとう。今年もよろしく。数秒間の中で垣間見た死は何処へ。やがては日常が扉をまたぐ。