モンテーニュ3

 

 

 

よく見られることであるが、どんなに豊穣で肥沃な土地でも、遊ばせておくと様々な無益な雑草が生い茂る。

これを役に立てるためには、われわれの役に立つような何かの種子を播いてやらなければならない。

(…)

精神が何か自分を束縛し抑制する主題を提供させられないと、茫然とした想像の原野をただ右往左往するだけになってしまう。

堀田善衛 『ミシェル 城館の人』

  

  大抵の場合、日々の生活や仕事で「土地」の養分を使い果たしまうことの方が多いだろう。 

 例えわずかであっても、その「土地」から実ったものが、私たちを培ってゆく。その実りの紡ぎ合いの中に、喜びあり悲しみあり、人生のドラマが渦巻く。

 

 しかし若さや、才能や、熱意によって「肥沃な土地」を有している人々もまた要注意である。

 青春の日々の無限のエネルギーが、時に悩みや苦しみ、痛々しい中二病に繋がるように、豊かさとは時に、人々を焦燥させ、人々を苛む存在でもあるからだ。

 多くの場合、大人になって忙しい日々に土地が痩せていくことは、精神の安定にもまた、繋がるのだと思うのだ。

 もし幸運にもモンテーニュのように豊かな土地が目の前にあり、そこに雑草が生い茂っているのなら、あまり意気込み過ぎず、彼の言うように、「役に立つ」タネを手っ取り早く撒くのが良いのかもしれない。

 雑草の中にはまた、得体のしれない昆虫や小動物もまた訪れる。

 それもまた、豊かさの一つの姿ではあるのだが。