映画『この世界の片隅に』 スズさんの右手

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 この作品を観初めて数分間、正直私は気分がよくなかった。

 戦中の日本の過酷な生活、男女差別、不気味な戦争経済が広がっているにもかかわらず、その風景が、あまりにものどかで、都合よく加工されたものに思えてしまった。

 「常にボーっと」している可愛らしいヒロイン、スズさんを通して、それらすべてが、美化されているように思えのだ。

 

 しかしスズさんが右手とともに大切なものを失った時、今までみずみずしく描かれていた日本の風景が、今まで通りのタッチで描写されているにもかかわらず、堪え難い悲しみに満たされていく。

 その時初めて気づくことができた。美化されているかに見えた戦中ののどかな日本の風景は、彼女の想像力によって、そしてその感受性をそのままキャンバスに刻みつけた、あの右手によって担われていたことを。

 

 大切なものを失った彼女が、その想像を絶する苦痛を乗り越えた時、再び見えてくるケモノたち、新しい命、新しい世界。

 彼女の想像力によって、失われた広島の光景すら、色彩豊かに復活する。

 

 苦痛と混乱に満ちた戦後の日本を建て直した人々の中に、スズさんのような魂があったことを思うと、涙が止まらない。

 失われた右手も、また手を振り返してくれるのだ。

絵画 『羊の剪毛』

 

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 上野にある国立西洋美術館に一点、心惹かれてならない作品がある。

 常設点も終わりに近い近現代美術の作品群の手前。暖色に照らされた、19–20世紀の美術作品を並べる部屋の中に、その作品はある。

 

  『羊の剪毛』と銘打たれたその作品は、同じ空間に並ぶエキゾチックな異国文化や、ダイナミックに大自然を描いた神話的な作品群と違い、農民の日常を切り取った、とり分けて静かで、地味な作品である。

 しかしその絵画を一目見たときから、その平和な風景からにじみでる慈しみ深さ、行ったこともない風景に対する懐かしさとでも言えばよいのだろうか。なんとも言えぬ説明し難い魅力に心掴まれてしまったのを覚えている。

 

 ひときわ存在感を持って描かれる角ばった石柱、その石柱に支えられた大きな屋根によって、絵画全体は薄暗く、単調な色彩である。

 

 柱に寄りかかり、身を起こしたままやや力強く羊を抱く夫とは異なり、羊をあやすように地べたに座り、優しさに満ちた表情で羊を見下ろす妻は、単調な色彩の空間の中では特に目を惹かれる、真っ赤なバンダナを巻いている。

 

 愛らしく傾けられたその顔の左半分は、外からの陽光によって、その微笑みの柔和さがよりはっきりと照らし出される。

 この絵画に最初に魅了されたのも、この農婦の、あまりにも美しい表情だった。

 

 毛を刈られる羊たちは反抗することもなく穏やかに、その身を人間に委ねている。

 地平線の浮かぶ外界の風景と羊たちは、絵画全体を覆う大きな屋根と柵によって隔てられているも、何匹かの羊たちはねだるように屋根下の夫妻を見つめる 。

 他の羊たちも奥にあるもう一つの屋根を支える石柱の下に群がっている。

 

 鮮やかな陽光に照らされた、色彩豊かな大自然が描かれているにもかかわらず、単調でほの暗い、人工的な空間こそが、より美しく、平和な風景に見える。

 そして人工的な空間の魅力の大部分は、作品中心に座りこんだ、赤いバンダナの女の所作と表情によって担われているように思えてならない。

 

 宗教的モチーフも当然あるであろう本作品であるが、絵画を読み取る知的な楽しみ方を差し置いてでも、情緒において真っ先に見るものを掴む。

 神でも自然でもなく、人間中心の殺伐とした近代世界の暗さ、単調さを視覚的に見せられながらも、その空間に存在するひそやかな平和、生への慈しみ、その生命の美しさそのものを、赤いバンダナの女に教えさとされているようだ。

 

ジブリ作品『もののけ姫』 「祟り神」が象徴するものとは

 

ジブリ作品とドロドロの怪物たち

 

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 宮崎駿作品にはしばしば、ドロドロした気味の悪い怪物が現れる。

 『風の谷のナウシカ』の巨神兵や『千と千尋の神隠し』の暴走するカオナシなど、挙げればきりがないが、核兵器の脅威や巨大化し続ける胃袋(欲望)など、いずれの存在も必ず何かしらの象徴を背負わされている。

 

 そんなドロドロの怪物の中でも個人的に最も戦慄を覚えたのは『もののけ姫』の「祟り神」である。

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 全身を気持ち悪い触手に包まれ、その存在に触れた草木は腐り、凄まじい執着で人間に迫り来る祟り神。

 その存在が象徴するものは何なのか、宮崎駿の近代化への目線を含め考えてみたい。

 

 

もののけ姫』のたたら場が象徴するものとは

 

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 まず、もののけ姫で登場する「たたら場」という場所。そこは戦乱の時代に強固な城壁と最先端の技術を有する平和的な都市世界である。

 従来の伝統に縛られず、先端技術をもって他国を圧倒し、女性、病人、奴隷、弱者を保護するこの都市の長、「エボシ」は近代精神そのものの化身である。

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 しかし近代化に必要不可欠な存在である資源を惜しげもなく消費し、それを邪魔する存在は人間であろうと神であろうと容赦ない彼女は、過激な暴力を持って多くの存在を傷つてけているのも事実である。

 エボシ率いる「タタラ場」という場所、それは急速な近代化を遂げた日本、とりわけ戦後の高度経済成長期の東京であるように思えてならない。 

 

 明治以降急激な近代化を進め、西欧諸国に追いつけ、追い越せで発展を続けた日本は、人間/自然、近代/伝統、都市/地方など様々な対立を作り出した。

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 他国の武将達に「鉄」を売ることで富を築き、発展する「たたらば」は、戦後、大量の武器や物資を輸出することで特需を得た日本の姿と重なる。

 そしてそんな急速な近代化の陰で、搾取され、踏みにじられ、忘却された存在たちは、不気味な姿をとって近代世界に復讐を試みるのだ。

 
祟り神と「公害」

 

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 昭和30年代を懐かしむ人たちが日本にはいます。つまり50年代から60年代にかけてですね。

 その時期は良かったんじゃないかと錯覚を起こしている人たちがいます。けれども、非常に不幸な時代でした。

 非常に鬱屈した欲求不満が、その後の凶暴な公害をもたらすんです。

 日本中の海や川を汚し、山を削り、ゴミだらけにし、

 こんなに凶暴になることはかつて日本にはなかったことですから。

 それまでの懐かしいと言われている時代の中に、それだけの欲求不満が渦巻いていたんです。

 

podcastジブリ汗まみれ』宮崎駿インタビューより

 

 未曾有のスピードで発展し続けた「東京」の発展の陰で、日本は深刻な環境問題に直面する。

 「公害」と呼ばれたその環境汚染は、東京ではなく、その発展の恩恵を享受しきれていない田舎町や地方が、多くその代償を払わされてきた。

 

 作品冒頭で現れる祟り神は、自身に鉄の鉛を埋め込んだエボシの住むタタラ場ではなく、そこから遠く離れたアシタカの村(現在の東北のあたり)を襲う。

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 人間と共存し、敬われ、畏れられていた自然は、人間が長きにわたって崇拝してきた神々であった。

 神聖であったはずの存在が、怒り、苦しみ、奇形化し、「祟り神」となって襲い来る姿は、汚染された自然環境が「公害」となって人間に牙を剥く姿と重なる。

 ヘドロのような気持ち悪い色の触手を身にまとい、凄まじい執着で人間を襲う「祟り神」。それは「水俣病」であり、「四日市ぜんそく」であり、現在では…、果たしてどんな姿をとっているのだろうか。

 

映画『ミッドナイト・スペシャル』 

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あらすじ

ロイの幼い息子アルトンに備わった不思議な力。その神秘的な能力を狙って、カルト教団の魔の手が忍び寄る。追われる父と子は夜を徹して逃亡するが、追跡に国家権力がからみ、全国規模の指名手配へとエスカレートしていく。ロイは全てを犠牲にして、アルトンが究極の目標にたどり着くのを助ける決意をする……たとえそれが、何を意味するにせよ。

warnerbros.co.jpより

 

 

大人たちから見た「子供」の神聖

 

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本作には個人的な思いも反映されている。幼い息子を持つ親の気持ちだ。

脚本執筆中、当時1歳だった息子が熱性の痙攣を起こした。

その時悟ったんだ。“この子はこれからもケガしたり苦しんだりするだろう。そんな時私は同じ苦痛を味わうことができない。” 

“別の世界からこちらを見ることができても、こちらからその世界を見ることはできない”

ー『ミッドナイト・スペシャル』特典映像より

 

 本作では、前半部の重厚でリアルなトーンから一変して、「超人的な」能力を持つ息子アルヴィンが光ったり、物を破壊したりし始める。

 そこで展開される息子アルヴィンの「特殊」能力。それはジェフ・ニコルズ監督が幼い子供たちに見る「理解しがたさ」であり、同時に「神聖」そのものである。

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 しかし急に息子のアルヴィンが異様な姿で暴れ始めるのを見て、本作が何を言いたいのか見失う観客も多いかもしれない。

 そんな時にヒントになる存在が、最近注目を集める俳優、アダム・ドライバーである。

  

売れっ子アダム・ドライバーの大活躍

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 本作で、NSA職員を演じるアダム・ドライバー。

 彼は『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015)で中二病的なキャラのカイロ・レンを演じて一躍有名となったばかりである。

   しかし急に売れっ子になった彼が次々に出演する作品には、どうも一種の共通性があるように思えてならない。

 

 つい最近では、『ハングリー・ハーツ』(2016)に出演。育児方針を巡って血みどろの夫婦喧嘩を重ねる夫を演じ、ヴェネツィア国際映画祭主演男優賞を受賞した。

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 生まれてきた息子を「インディゴ・チャイルド」(使命を持つ魂)と信じ、独自の方針で育てようとする妻を深く愛しながらも、現代医学に則って健康に育てたい夫の混乱を演じている。

 理想と理性の間で引き裂かれる夫を演じる彼は、本作では政府側の人間としてアルヴィンを追い詰めながらも、アルヴィンの神秘的な能力に魅了されていく人物である。

 

 考えてみれば『スターウォーズ』におけるカイロ・レンも、帝国軍(の残党)に属していながらも、反乱軍の英雄を両親に持ち、ジェダイの教える理想や、両親への愛を捨てきれぬキャラクターである。

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 自由と秩序、理性と理想、そして現実世界と神秘的世界の対立を演じ続けるアダム・ドライバー。

    そんな彼の出演作品と重ねて本作を見ると、アルヴィンの特殊能力を前にした彼の行動も、より味わい深いものがあるかもしれない。

 

ピクサー作品『ウォーリー』 管理社会へのブラックで優しいメッセージ

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 あらすじ

29世紀の地球。700年もの間、たった独りでゴミ処理を続けているロボット【ウォーリー】。彼の夢は、いつか誰かと、手をつなぐこと。ある日、そんなウォーリーの前に、真っ白に輝くロボット【イヴ】が現れる。一目惚れしてしまったウォーリーが、イヴに大切な宝物“植物”を見せると、思いがけない事態が!イヴはそれを体内に取り込み、宇宙船に回収されてしまう。イヴを失いたくない!必死に宇宙船にしがみついたウォーリーは、大気圏外へ飛び出して…。宇宙の遥か彼方でウォーリーを待ち受けていたのは、地球の未来が懸かった壮大な冒険だった!
ー公式サイトより

 

 

安全で快適な管理社会(以下全体的にややネタバレ)

 

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 かつて人類の発展を支えた合理主義は、今や鋼鉄のような制度となって確立し、逆に人間を全面的に拘束し支配するにいたった。

 合理主義は、いわば非合理そのものに転落してしまった。

マックス・ウェーバー(意訳)

 

 環境汚染によって地球に住めなくなった人間たち。彼らは700年前に出航した豪華宇宙客船、アクシオムのなかで安全で快適に、しかし徹底的に管理された生活を送っている。

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 贅沢な生活の全てをロボットにお任せする生活は一見豊かで羨ましいものに見える。
 しかし彼らの生活というと、食って寝て、一日中イスの上でスクリーンをいじくるだけである。
 彼らは赤ちゃんのように無知で、個性のない生活を送っている。

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禁断の果実

 

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I don't want to survive.! I wanna live!

ー映画字幕より


 安全世界にうたた寝していた人間たちを荒廃した地球に戻すきっかけとなるのは、探索ロボットエヴァが探し求め、ウォーリーが発見した植物である。


 船の全システムを管理するプログラム、「オート」は植物による船のリプログラミングと、地球への帰還を断固阻止しようとする。

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 オートは船内の全システムを人間に代わって管理し、反抗者や危険分子には容赦がない恐ろしい存在として描かれる。

 ウォーリーがきっかけで地球の環境を学び始めた船長ですらも、自分たちが管理され、ただ生かされていたことに気づくが、オートによって監禁されてしまう。

 

秩序への反抗

 

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 そんなオートの圧力に対して、ウォーリーたちを応援し、助けてくれる存在が2つある。客船に紛れ込んだウォーリーのドタバタによって、偶然液晶画面から目を離し、初めて世界を目にした人間と、

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 故障によって隔離、監禁されたロボットたちである。

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  どちらの描写はコミカルで可愛く描かれるものの、管理社会の下で空疎な生活を送る人間や、秩序にそぐわないはぐれもの達への容赦ない運命がブラックに描かれる。

 ウォーリーによって新しい世界に目覚めた彼らは、力強い味方になる。

 

地球への帰還と失楽園

 

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 空疎で安全な生活を捨て、念願叶って地球に降り立った人間たち。
彼らは管理社会から解放されたものの、これからは汚染された地球の厳しい環境の中で生きていかなければならない。
 彼らもまた、かつてアダムとイブが知性に目覚めて楽園を追放されたように、苦難に満ちた生活が待っていることだろう。

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ピクサーのブラックなメッセージ

 

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 しかし汚染された地球で、ロボットと人間が協力しあって暮らす様子はハッピーエンド以外の何物でもない。その風景はとても美しく、可愛らしく描かれるのみである。

 そんなあまりにも平和すぎる人間たちの描写に、少し違和感を感じる観客も多いかもしれない。

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 そんな観客に対して、エンドロール後の最後の最後のシーンで、これでもかと言わんばかりの毒っ気を効かせた“ある”シーンが映される。

 苦味のないハッピーエンドを楽しんだ人ほど、最後の最後で痛烈な皮肉をぶつけられるという少し意地悪な展開である。

 

 それでもやはり、本作が優しさに満ちた作品であることには間違いない。

 荒廃した世界で独り、希望を探し続ける旧式ロボットと、管理社会の下で自由を求める新型ロボットが出会い、世界に変化をもたらす愛の物語である。 

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映画『エクス・マキナ』 AIという禁忌と『惑星ソラリス』

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あらすじ

検索エンジンで有名な世界最大のインターネット会社“ブルーブック”でプログラマーとして働くケイレブは、巨万の富を築きながらも普段は滅多に姿を現さない社長のネイサンが所有する山間の別荘に1週間滞在するチャンスを得る。
しかし、人里離れたその地に到着したケイレブを待っていたのは、美しい女性型ロボット“エヴァ”に搭載された世界初の実用レベルとなる人工知能のテストに協力するという、興味深くも不可思議な実験だった・・・。

ー公式サイトより

 

  

センスの良すぎる近代建築

 

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 アメリカ人の富裕層が好んで建てる住居や、日本の公的建築物によく見るもので、自然空間を贅沢に利用した、美しく幾何学的なスタイルがある。

 広大な自然空間に屹立する、凄まじくセンスの良い近代建築。

 そういった建築物を見ていると、その建物に対して何か不思議な傲慢さ、そして畏敬の念を感じさせられることがある。

 最先端の知恵と技術が配されつつ、周囲の自然の美しさ、澄んだ空気、虫や鳥たちの鳴き声までをも貪る人間のあまりにも上品な傲慢さに、一種の深淵な何かを見てしまうからだろうか。

 それは科学や文明による自然世界への奇妙な侵食であるのかもしれない。

 

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 本作で頻繁に映されるセンスの良すぎる近代建築も、頂上を隠す高き山々、深き森、澄み切った川に囲まれ、非常に美しい。

 しかし圧倒的自然世界の中に忽然と存在する本作の幾何学的な建造物は、同時に何か世界の禁忌に触れたような不気味さをも醸し出す。

 

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 映画作品で視覚的に映される「家」は、しばしばそこに住む人間の人格そのものの象徴として描かれることがある。本作で孤独にAIを開発する天才ネイサンと、近代建築を重ねて見てみるとなかなか味わい深いものがある(ような気がする)。

 

 

禁忌として描かれる AI

 

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 同じくAIもので、スカーレット・ヨハンソンの絶妙なハスキーボイスで世の男性陣を魅了した『Her』のように、テクノロジーの進歩と高度なAIの登場を「善きこと」として詩的に、感動的に描いた作品と本作は極めて対照的である。

 

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 本作で登場するAIの世界は、人間の科学が踏み込んではいけない混沌世界に触れてしまったかのような、とめどない不安感を漂わせ続ける。

 

 

惑星ソラリス』の狂気の再来

 

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 圧倒的自然世界の中で、発達し過ぎた科学が世界の混沌に踏み込む話で有名なのが、 1972年のソ連映画『惑星ソラリス』である。

 星全体が一個の高次元の生命であり、宇宙開発で訪れた人間たちの脳内のイメージが物質化して現れる狂気の空間である惑星ソラリス

 

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 宇宙にまで進出し得るほどの科学力を得た人間たちではあったが、逆にその知識に追いつかぬ知性や道徳観によって、どんどん正気を失っていく様子を不気味に描く本作。

 凄まじい速度で発達し続ける科学知識が、人間の存在そのものを脅かす恐怖を思い知らされる。

 

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 人間ではないはずのものに、人間と同じ、あるいは人間以上の何かが宿っている(かもしれない)という AIと主人公の葛藤も、かつて亡くした最愛の妻がソラリスの星で具現化して現れた時のそれと通じるものがある。

 愛のような人間的な感情と発達しすぎた科学技術、神秘的な美しさと圧倒的な背徳感が伴う悩ましさも両作で共通しているように思われる。

 

 

その他いろいろてんこ盛り

 

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 他にもAIの「エヴァ」という名から想起されるように、キリスト教の創世記と重ねながら観られたり、主人公の背中に天使の羽のような傷跡があったりと、なにかと深読みや哲学的思考を誘う本作品。

 人工知能検索エンジンの凄まじい進歩、美しいAIとの恋、天才VS秀人など、他にも楽しめる要素だらけの最上級の娯楽作品である。

映画 『ノーカントリー』 怪物として描かれる近代と新世代

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あらすじ

麻薬カルテルの抗争現場で、偶然大金を拾った主人公ルウェリン

彼はふとした善意が災いして、麻薬カルテルに追われることになる

カルテルが雇った殺し屋は、標的など関係なく人を殺しまくる怪物であった

知力の限りを尽くして対抗するルウェリンは逃げ切れることができるのか

 

 

  「欲望」に振り回される間抜けたち、を描き続けるコーエン兄弟 

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 平穏な日常を送りつつ、何かしら「不満足」を抱える人々が、欲望やコンプレックスに駆り立てられて行動した結果、血みどろの混沌が訪れる。そんなテーマを繰り返し描き続けるコーエン兄弟

 危ない事態をさらに悪化させていく間抜けな人間たちを描きながらも、彼らをどうしようもなくコミカルな存在として描くのも大きな特徴である。

 

 

間抜けなだけじゃない主人公

 

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 本作で欲望に駆り立てられる主人公もまた、どう考えても危ない麻薬カルテルのお金を持ち逃げしてしまう間抜けである。

 とは言いつつ、ベトナム帰還兵として何事にも屈せぬ知力、体力に恵まれた主人公は、ジョッシュ・ブローリン扮するかなり味のある「デキる」男でもある。

 どんな事態にも冷静に対処する彼に訪れる混沌もまた、普段のコーエン作品以上に恐ろしい存在として描かれることになる。

 

異形の殺し屋シガー

 

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 お金を持ち逃げされたカルテルが雇ったのは、天災の擬人化のような殺し屋、シガーである。

 髪型、服装、話し方、どれをとっても違和感しかない気味の悪い殺し屋は、会う人会う人に逃げ場のない哲学問答をしては、残虐な方法で殺しまくっていく。

 殺し方や殺しに使う道具まで、どれをとっても見慣れないものばかりで気持ち悪い。

 何かしらの行動原理があるらしいが、何がしたいのか全くわからない。彼は一体何者なのか。

 

近代、資本主義の化身としてのシガー

 

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昔々あるところに少年がいました

森の中で何も持たずに育てられ

夜は明かりの灯る家を見て嘆きました

“なぜ僕はあの中には入れないの?”

“なぜ僕だけ腹ペコなの?”

“僕も ああなりたい”

するとオオカミたちがやってきました

—ドラマ版『ファーゴ』シーズン1、字幕より

 

 無邪気で平穏に暮らしている人々が、近代性や資本主義的価値観に触れる瞬間。そこにはしばしば予想しがたい狂気と暴力が訪れる。そんなテーマを繰り返し描き続けるコーエン兄弟

 最近だと2シーズンにわたって、ドラマ版『ファーゴ』 の中でさらにそのテーマを掘り下げて描いているのもぜひ注目したい。

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 伝統的な価値観や共同体に安住している人間が、「欲」(資本主義)に出会ってしまい、人間性を失ったり、悲惨な暴力の世界に巻き込まれたりする。

 そんな時にやってくる「オオカミ」こそ、殺人者シガーなのである。

 

 

新世代・新時代への恐怖としてのシガー 

 

もし庭に性悪犬がいたら誰も近づかないはずだ

ところが近づいた連中がいたんだ

ー原作「血と暴力の国」より

 

 一言で言ってしまえば本作品は「世代交代」の話でもある。

 トミーリー・ジョーンズ扮する保安官は、最近の凶悪犯罪、敬語を使わない若者、老いた自分自身を眺めては、子犬のような顔で嘆き続ける。

 

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 「古き善き」アメリカの良心や伝統は失われ、戦争や麻薬、犯罪によって多くの命が奪われる。彼にとって新世代は手を出してはいけない禁断の悪に伝染した世代である。

 過去を美化し、新しい世代を不気味に感じてしまう彼にとっては、新世代が手を出してしまった禁断の悪の化身こそ、殺し屋シガーなのである。

 そんな厭世的な彼の嘆きに重ねるように、詩人イエィツの「ビザンチウムへの船出」から引用して「No Country for Old Man(老人たちのための国などない)」のタイトルが与えられている。

 

退場させられる怪物(以下ちょっとだけネタバレ)

 

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 そんな不気味な存在のシガーでさえ、やがては表舞台から退場させられる。 

 彼が経験する突然の事故は、彼もまた不条理から逃れることのできない世界の一部だと言いたいのかもしれない。

 若い少年たちにシャツをもらい、争いの種(金)を残してフラフラと消えていくシガーもまた、過去の遺物になっていくのであろう。

 人を殺しまくる超自然的な恐ろしい存在もまた、傷つき、立ち去っていく姿に、とめどなく変わりゆく時代の変遷を感じさせられる。

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 他にも、つい深読みしたくなるような描写や台詞で溢れる本作品。

 保守とリベラルがせめぎ合うアメリカや、とめどなく激変し続ける最近の世界状勢を考えながら見ると、より一層味わい深く楽しめる良作である。